大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成2年(オ)216号 判決 1991年3月22日

上告人

中村嘉代子

上告人

大久保晴雄

右両名訴訟代理人弁護士

澤邊朝雄

植原敬一

藤井司

被上告人

高井稔

右訴訟代理人弁護士

林信一

皆見一夫

松本史郎

中川晴夫

中嶋俊作

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人澤邊朝雄、同植原敬一、同藤井司の上告理由第一点の第二について

建物の賃貸人が解約の申入れをした場合において、その申入時に借家法一条ノ二に規定する正当事由が存するときは、申入後六か月を経過することにより当該建物の賃貸借契約は終了するところ、賃貸人が解約申入後に立退料等の金員の提供を申し出た場合又は解約申入時に申し出ていた右金員の増額を申し出た場合において、右の提供又は増額に係る金員を参酌して当初の解約申入れの正当事由を判断することができると解するのが相当である。けだし、立退料等の金員は、解約申入時における賃貸人及び賃借人双方の事情を比較衡量した結果、建物の明渡しに伴う利害得失を調整するために支払われるものである上、賃貸人は、解約の申入れをするに当たって、無条件に明渡しを求め得るものと考えている場合も少なくないこと、右金員の提供を申し出る場合にも、その額を具体的に判断して申し出ることも困難であること、裁判所が相当とする額の金員の支払により正当事由が具備されるならばこれを提供する用意がある旨の申出も認められていること、立退料等の金員として相当な額が具体的に判明するのは建物明渡請求訴訟の審理を通じてであること、さらに、右金員によって建物の明渡しに伴う賃貸人及び賃借人双方の利害得失が実際に調整されるのは、賃貸人が右金員の提供を申し出た時ではなく、建物の明渡しと引換えに賃借人が右金員の支払を受ける時であることなどにかんがみれば、解約申入後にされた立退料等の金員の提供又は増額の申出であっても、これを当初の解約の申入れの正当事由を判断するに当たって参酌するのが合理的であるからである。

これを本件についてみると、記録によれば、被上告人は、昭和六二年五月一一日、第一審の第七回口頭弁論期日において、上告人中村嘉代子との間の本件賃貸借契約の解約を申し入れ、同時に立退料一〇〇万円の支払を申し出ていたところ、原審の第一回口頭弁論期日において、裁判所が相当と認める範囲内で立退料を増額する用意があることを明らかにした上、平成元年七月二一日、原審の最終口頭弁論期日において、立退料を三〇〇万円に増額する旨を申し出ていることが明らかである。そして、原審の適法に確定した事実関係によれば、被上告人が昭和六二年五月一一日にした解約の申入れは、立退料三〇〇万円によって正当事由を具備するものと認めるのが相当であるから、本件賃貸借契約は右解約申入れから六か月後の昭和六二年一一月一一日の経過によって終了したものといわなければならない。したがって、これと異なり、被上告人が平成元年七月二一日に立退料の増額を申し出た時から六か月後の平成二年一月二一日の経過をもって本件賃貸借契約が終了するとした原判決には、借家法一条ノ二にいう解約申入れの効力の解釈を誤った違法があるが、平成二年一月二二日以後の建物の明渡し及び賃料相当損害金の支払等を命じた原判決を変更して昭和六二年一一月一二日以後の建物の明渡し及び賃料相当損害金の支払等を命ずることは、いわゆる不利益変更禁止の原則により許されない。論旨は、結局、原判決の結論に影響しない部分の違法をいうに帰し、採用することができない。

その余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官香川保一 裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平)

上告代理人澤邊朝雄、同植原敬一、同藤井司の上告理由

(第一点)原判決は、理由不備ないし判決に影響を及ぼすべき借家法第一条の二の解釈を誤った法令違背がある。

第一(一) 原判決が被上告人側の必要性として列挙しているものは、左の(1)ないし(3)である。

(1) 本件一建物(以下単に本件建物という)は老朽化しているところ、地価が高騰した現在では、敷地の有効利用のため、本件建物を取壊し新しい建物を建てる必要性がある。

(2) 被上告人の二女中野美沙子の居住するNTT社宅は手狭で、高校進学をひかえるその長女のためにも一戸建家屋を所有させたい。

(3) 被上告人は高齢のうえ心臓も悪いので、将来的に右美沙子に看護介助をしてもらう必要がある。

(二) しかしながら(1)については、本件建物の敷地が都心や駅前の一等地ではなく、その有効利用を図る公共的な必要性があるわけではなく、単に被上告人の私的な計画であるにすぎず、かつ計画している建物は収益物件ではなく、後記のような二女のための住居であることに鑑みると、とうてい被上告人側の必要性とはいえないものである。なお本件建物は十分居住に耐えるものであって、朽廃に近い状態でもないことは原審の証拠から明らかである。

(2)については、原審で上告人らが主張したように、被上告人二女美沙子の長女がどこの高校へ進学するのか、その進学先も未定であって必ず本件建物敷地に居住することになるとはとうていいいえず、その必要性は全く薄いものである。永年にわたり本件建物を生活の本拠として今後も居住を希望している上告人に対し、このような不確実な必要性を主張すること自体すこぶる問題といわねばならない。

(3)については、被上告人は「心臓が悪い」、「動悸、息切れがする」(原審における本人尋問第二回、二九、三〇)と供述しているが、それ以上に具体的供述はなく、かつ他に被上告人の身体の不調を示す証拠もないのであるから、右は単に老齢による一般的な体力の減退とみて差し支えない。そして将来、看護介助の必要性があるか否かも不確実であるのに、これを必要であるとして被上告人に有利に判断するのであれば、賃貸人が老齢でさえあれば隣接地の借地は明渡の正当事由を備えてしまうことになって、極めて不当であるといわなければならない。またなぜ他の兄弟をさしおいて二女美沙子の世話になるのか、その理由も明らかでない。早晩結婚するであろう長男は現在被上告人と同居しており、長女は茨木市、三女は高槻市に居住している(第一審証人中野美沙子、六)のであるから、特に二女だけに世話になるとはとうていいえないであろう。

以上被上告人の必要性といっても被上告人自身の必要性ではなく、親族の必要性であるうえにいずれも根拠薄弱またはその程度の著しく低いものである。

(三) 原判決は、上告人中村の必要性についてはとりたてて挙示していないのはすこぶる偏頗といわなければならない。すなわち原判決は、上告人が七四才の老齢であって昭和一〇年頃から五〇年以上にわたり本件建物に居住し、かつ本件建物の近所で服地店を経営して生計をたてている事実、換言すれば本件建物を離れては上告人の生活が考えられない事実をあえて無視している。

「金額次第では(明渡を)考えてもよいと思います。」(第一審本人尋問第二回、五)の供述も、上告人中村の供述全体及び本訴直前に年額四万円から月額一万九五〇〇円への大幅な値上げもすぐに応じ、引続き居住したい意向を示している事実に鑑みれば、本件建物に執着のないように受取られるのは全く上告人の意に反しているのである。

また、原判決では現在では他に借家を求めるのが容易であるのは公知の事実であるというが、むしろ地価が高騰し賃料も騰貴しているのが公知の事実であり、結局廉価な借家の供給が不足しており、収入の少ない高齢の賃借人が他に借家を求めるのは困難というのが公知の事実ではないであろうか。原判決のような認識で本件を判断されれば、貸借人側の必要性というのはいともたやすく打ち破られ、借家法の正当事由における利益衡量は成り立たなくなってしまうであろう。

(四) 以上からすれば、上告人中村の必要性と比して被上告人の必要性は低く、その差は立退料の提供をもってしては補完されないものである。立退料の提供は、貸主の必要性が優勢か、両者の必要性が同等の場合にはじめて正当事由を補完できるものであるから、本件で正当事由を認めた原判決には、理由不備ないし借家法第一条の二の解釈を誤った違法があり、これは判決に影響を及ぼす法令違背であるから原判決は破棄されるべきである。

(五) なお上告人大久保についても、上告人中村について被上告人の請求が理由がない以上被上告人の請求は認められず、同様に原判決は破棄されるべきである。

第二 借家法第一条の二に定める正当事由による解約申入れの有効要件は、正当事由が右申入れ時に存在するとともに、解約申入れ期間である六ケ月の満了時まで存続せねばならないものとせられている。このことは、御庁昭和二七年(オ)第一二七〇号、昭和二九年三月九日第三小法廷判決、昭和四〇年(オ)第一四九七号、昭和四一年一一月一〇日第一小法廷判決において明瞭に観取することができる。ところで原判決は、被上告人は上告人中村に対し平成元年七月二一日正当事由による解約申入れをなしたものと認定し、解約申入れ後僅か二ケ月余で未だ解約申入れ期間である六ケ月の到来しない以前である平成元年九月二九日時点において、右解約申入れを有効と判断し、上告人らは平成二年一月二二日以降において本件建物を明渡すべき旨言渡している。元来、正当事由を構成する事実は、その性質上固定的ではなく時間の経過とともに流動して行くものであるから、かりに、原判決の認定する前記各事実が正当事由を構成するものとしても、原判決の言渡後解約申入れ期間が満了するまでの間に右各事実が消滅に帰する可能性は十二分に存し、かゝる場合は被上告人のなした解約申入れはこの効力を発生しない筈である。原判決は正当事由による解約申入れの有効要件である正当事由が解約申入れ期間満了時まで存続せねばならないことを無視して、右期間の満了以前に被上告人のなした右解約申入れに効力を認めたものであって、借家法第一条の二及び同法第三条第一項の規定の解釈を誤った法令違背が存するものである。

(第二点)原判決は立退料三〇〇万円が相当としているが、理由不備の違背がある。

すなわち原判決は、本件明渡請求を立退料によって正当事由の補完ができるものとしたうえで、その立退料は三〇〇万円が相当としているが、しかしその理由については「一〇〇万円では低きに失する」というのみで、述べるところがない。本件訴訟においては、本件建物およびその敷地の価格の鑑定もなされておらず、原判決は何故三〇〇万円が相当と認定したのか全くその客観的根拠を欠くものであり、理由不備の違法があるといわなければならない。

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